マルコ水産株式会社

マルコ水産のこばなし(まぐろ)

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マグロ・カツオはいつから食べられていた? ルーツを知ろう! 鮪と鰹の歴史(ルーツ)

日本人が愛してやまないマグロ・カツオ。いつ頃から食べられていたのかご存知ですか?


歴史を紐解いていくとマグロは少なくとも、縄文時代【1万6000年~3000年前くらい】には食べられていたようです。これは、各地に残る遺跡の発掘調査からわかったことで、縄文人が食べたものを捨てていた貝塚などから、骨が発見されたことで分かったことです。ロマンがありますね♪

 マグロが日本の歴史上で記録が残り始めているのは、飛鳥時代(西暦593~710年頃)です。書物に「鮪」という漢字が記載されているようで、この頃から漁具や漁法の発達があり、現在でも行われている1本釣りや延縄漁の原型が生まれたようです。平安時代(西暦794~1192年頃)には、更に魚食文化が広がるようになったようで、当時は、「鮪」という漢字を「シビノウオ」または「シビウオ」と読んでおり、マグロと呼ばれるようになったのは、江戸時代中期頃からだそうですね。 また、当時はまだ生では食べられてないようです。マルコ水産のこばなし(まぐろとかつおの食文化・歴史)



マグロは、船の上から見ると背が黒く、海を泳ぐ姿が真っ黒な小山に見えることから「真黒(まぐろ)」とする説があり、また、目が黒いことから「眼黒(まぐろ)」とする説もあります。 鎌倉時代(西暦1192~1333年頃)には、鮪を「宍魚」と書いて「しび」と読んでいたそうです。(「宍」という漢字は「獣の肉」を意味しており、鮪の赤身が獣の肉に似ていることからそう付けられたようです。)


 時代は平安から鎌倉に移り、時代の主役が貴族から武士に代わると、鮪はあまり好まれなくなります。これは、シビという言葉が「死日」につながり、縁起がわるかったようです。(武士が戦場へ赴くのに良い気はしないため )一方で、鮪にかわり「勝つ魚」につながる【カツオ】が珍重されるようになります。

ちなみにカツオも鎌倉時代にも登場してきており、万葉集には「堅魚(カツヲ)」という表記があり、干すと硬くなるので『カタウオ』と呼ばれていたのが由来ともあり、また、一説によるとカツオの処理法(釣り上げた後、木の棒で叩いたり、ぶつけたりして処理していたことから「カツ(搗つ)」に「魚(うを)」で「カツウヲ」となり、転じて「カツヲ」になったという説もあるようで、色々諸説あるようです。カツオもまた、鮪同様、低級魚(すぐ傷むから)と扱われていたようです。すぐ傷むので、干して硬くしてから食用にしていたそうです。

 さて、鎌倉時代以降、江戸時代(1603~1868年頃)の中期頃までは、マグロは、縁起の悪い魚として忌み嫌われていただけでなく、味の悪い低級魚とされ、とても安い価格で売られていました。当時の鮪は、釣ってきても食べるまでに時間がかかる、冷やす氷は貴重で、低温維持が出来なかった為、すぐ傷んでしまっていたからです。特に鮪の脂身がのっているトロは、真っ先に捨てられ、犬などのエサになっていたそうです。ちなみに同じ理由から戻りガツオなんかも好まれていなかったようです。 ネコでも跨いで通る(程不味い)【猫またぎ】と呼ばれていたほどなんですね…。

 しかし、江戸時代中期から調味料として醤油が普及しはじめました。これによって、マグロの身を醤油づけにして保存するという新たな保存方法が生まれ、「ヅケ」と呼ばれ、握り寿司のネタとして使われ出されました。これが属にいう【江戸前漬け】の発祥です。


マルコ水産の美味しいお刺身写真(江戸前漬けではない)